高校数学を終えた方へ

抽象数学というのはほとんどの人にとって馴染みがないでしょう。数学には何らかのイメージを持っているでしょうし、具体と抽象という言葉も現代文では頻出でしょうが。
大学数学でも最初の微積分と線形代数ではまだ計算が多いですが、抽象的な数学になると論理が全面に出てきます。そこでは集合とそれに付随する概念が土台となります。
「\(x^2=1\) の解は \(x=\pm1\)」は \(\{x \mid x^2=1\}=\{1,-1\}\) とされます。
「数列」も高校数学で出てきますが、「\(\mathbb{N}\) から \(\mathbb{R}\) への写像」とされます。「無限に近づく値を極限値」とするような事も書いてありますが、「無限」とか「近づく」といった言葉は不明瞭で使用に値しません。

議論はその対象が明確になって初めて始めることが可能になります。\(8\div2(2+2)\) はアメリカだと1でイギリスだと16だそうです。現実世界ではしがらみがあって定義を決めるのが難しい事もあるようです。
数学者は「厳密性が大事」というようなことをいう事がありますが、世の中が曖昧だからこそかも。機械にとっては、自然言語を使ったり厳密でなくする方が難しい…

形式と意味

賢明なる読者は、高校数学の勉強で公式丸暗記では無く、きちんと意味を取る努力してきたハズです。
でも、意味を取ろうとするのは邪魔になることがあります。
 \(\log_{10}2=0.3\Longrightarrow0=1\)
はどう読めば良いでしょうか?こういうのは難関大の入試なら出てくるでしょうが、次の問題はどうでしょうか。
 \(x=0\) のとき \(1\div x=1\div x\) か?
言葉には形式と意味がありますが、人は普通は意味を取ろうとします。「幽霊は存在するか」という問いに「言葉として存在する」とは答えないようです。
自然言語では一つの言葉に形式と意味を同時に持たせることができてしまいます?
 空は青いし青くない(黒い)。

形式主義の人は数学を形式的に扱います。
根源的な問にはしばしば沈黙します。例えば「集合とは何か」には答えません。Cantorを始め多くの人が頑張って説明しようとしてきましたが、「集合が満たすべき性質」があるだけ良いのです(公理的集合論の立場)。\(\sqrt2\) の定義は「\(2\) 乗して \(2\) になる正の数」で、初めのうちはよくわからないと感じるものでしょう。
極端な形式主義は大学数学科でも忌避されるかもしれません。「数学では物事の構造を分かりその本質を理解することが求めらえる」と主張する人もいます。機械には到底できない事です。
数学の奥深さに触れ感動することも、記号列が流れていくゲームを冷静に眺めるのも、共に味わうのが良いのでは?

数学美

抽象数学に価値はあるでしょうか?研究者は深い理論や限りなく広がる世界に魅了されているのしょうが、部外者にはなかなか分からないものです。すぐには役に立たないもので人生を愉しめる事があるって事は言えそうです。

私たちは数学の美しさを見せることにも拘ります。
web上でやる利点として、異なるものに同じ見た目を与えることができます。数学の教科書には美しい定義と定理を採用し並べます。意味を扱わなくても、私たちの作る数学は鑑賞者の心を揺らさねばなりません。
数学のめんどくさい部分は機械に任せ、ゆったりと数学を愉しみたいです。いつか芸術に昇華された数学をみることはできるでしょうか?